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​控訴審判決について

    控訴審判決について、すでに当事者の山崎さんから詳細な総括がなされましたので、控訴審の意義について私の方から付け加えることはありません。あえて一言だけ申し上げるなら、地裁・高裁での判決の方向は、裁判当事者たちが「どれくらい司法を信頼しているか」ということによって決まったのではなかったかと思います。

 今回の裁判は「スラップ訴訟」だったと思います。

 スラップ訴訟とは、市民が個人として意見を述べたのに対して、それを叩き潰すためになされる報復的訴訟を意味します。通常は、社会的強者(政治家、財界人、あるいは組織的背景を持つ人間など)が、相対的弱者である個人に対して、その言論を封圧したり、社会的活動を妨害するためになされます。

 今回の名誉毀損訴訟が「スラップ訴訟」だったということは、結果的に広く人口に膾炙することになった「貴殿は私の訴訟に耐えられるかな」という竹田氏の文言で明らかになったと思います。

 この言葉は、山崎さんの裁判に関連して、「『ヘイトスピーチや政治に関するデマ拡散を繰り返している人間の講演会を税金でオーガナイズするな』というのは言論の自由であり、行政に意見する権利は誰にもあります」というTweet をした投稿者に対して向けられたものです。「言論の自由はその通り。しかし、その結果、損害が生じたら損害賠償の責任が生じます。『自由』とはそういうものです。」に続いて出てきた文字列です。

 これはとても重い発言だったと私は思います。というのは、ここには、「訴訟」というのは、ことの理非を明らかにするためになされものというよりは、裁判に割くだけの経済的・時間的な余裕のある人間にとっては他人を黙らせるための手ごろな道具であるという彼の裁判観がはしなくも露呈されていたからです。

 ふつうの市民は訴訟にかかわる経験はまずありません。それがどれくらいの経済的・精神的負担になるのか予測がつかないし、訴訟に巻き込まれると生業に支障が出るかもしれませんがその程度もわからない。そういう市民個人にとっては、訴訟されることは、たとえ結果的に勝訴するとしても、それまでの何か月か何年かは「耐えるべき」時間でしかありません。ですから、「訴訟する」というのは、相手を委縮させるためにはとても効果的な言葉です。

 しかし、もし裁判というのが、法曹たちが法理と判例と良識に基づいてことの理非を明らかにする厳粛な場であるという認識があれば、こういう言葉は軽々しくは発されないものだと私は思います。それは私たち国民にとっての貴重な共有財である「司法資源」を個人的な目的のために濫用することだからです。

 「支える会」の立ち上げの時にも申し上げたことの繰り返しになりますけれど、今回の裁判の発端となった出来事は、言論人同士の間で起きたことです。そうである以上、言論の場で、それぞれが情理を尽くしておのれの信じるところを述べ、その当否は言論の場の判定力に委ねるべきものだったと思います。言論の場は、長期的には、「残るべき言葉」と「消えるべき言葉」を截然と切り分けてくれる。私はそれくらいには言論の場の判定力を信じています。だからこそつねに「言論の場」を信認し、「言論の自由」を護ろうとしてきているのです。しかし、竹田氏は言論の場において語られた言葉の当否を吟味するという道を取らずに、自分に対する論評の不当を500万円相当の「損害」として訴訟するという手段に訴えました。

 繰り返し申し上げますが、司法資源は貴重な社会的共通資本であって、個人が恣意的に費消してよいものではありません。それ以外にことの理非を決する手立てがない時には司法に訴えざるを得ないでしょうけれども、その手立てを真摯に求めなかったとすれば「濫訴」のそしりを免れないと私は思います。

 ご存じの通り、地裁判決は山崎さんの全面勝訴でした。山崎さんの書かれた論評は公益性があり、十分に合理的なものであるので、名誉毀損にも人格攻撃にも当たらない。だから「損害」も生じていないというごく常識的な判決だったと思います。

 竹田氏はこれを不服として控訴しましたけれども、山崎さんが書かれている通り、控訴審に際して、控訴人の側には地裁判決を覆すための努力をほとんど見られませんでした。その控訴審でも敗訴したにもかかわらず、竹田氏はさらに上告をしました。しかし、上告審でこれまでの判決を覆すような「憲法違反」や「従来の判例との齟齬」が指摘されるということはまずあり得ないでしょう。だとすれば、控訴審以降の裁判は「負けを認めず、戦い続けているポーズ」を誇示するための政治的なふるまいとしか私には思えません。これもまたずいぶん司法を侮った態度だと言わざるを得ません。

 言論の場の判定力を信じない人間に言論の場が信認を与えることはありません。それと同じように法理と良識を重んじない人間に司法が「理あり」という判断を下すこともない、そう私は信じています。

 

 皆様方のこれまでのご支援に改めて感謝申し上げます。ぜひ次は上告審での勝訴をご報告申し上げたいと思います。

 

 2021年9月

 内田樹 

控訴審判決について
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